第3章 : 暗黒の受験地獄

【ポイント】

  • 愛知県上位5%の進学校でまさかの「トップ10入り!」
  • 暗黒の受験地獄のはじまり
  • あの時の僕が本当にほしかったもの。

第3章 : 暗黒の受験地獄

「楽しく勉強するという技術」を身につけたことによって、

小学校6年間「落ち着きがない」と通知表に書かれた悪ガキが、

愛知県でも上位5%に入る進学高に受かってしまいました。

ところが、、、

まるで中学時代をなぞるかのような展開で、

最初の実力テストで450人中400番台・・・

ここでも、同じく順位発表形式だったので、

『競争の環境がモチベーションを維持』

プラス『好きな子にかっこいいところ』を見せたい!一心で、

楽しむ勉強方法で頑張ったところ、

夏休み前のテストでは、

またしても・・・『トップ10入り!』してしまったのです。

しかし、やはり進学校の生存競争は厳しく、

「楽しい勉強方法」だけでは足りず、

「量」もやらないと、成績の維持は厳しくなり、

押しよせるプレッシャーと、膨大な量をこなすうちに

いつしか、「楽しい勉強する大切さ」を忘れてしまったのです。

そして、それは暗黒の受験地獄の始まりでした。

今、高校時代を振り返っても

「遊んだ記憶が思い出せません・・・」

ひたすら、予習、復習小テスト、と勉強づけの日々。

受験生になると、通常の6時間授業に加え、

0時間目、7時間目、8時間目まで

任意という名の強制補習授業。

「発明家」の夢などとっくの昔にかすれ、

遊びも、恋愛も、趣味に時間をさく余裕もなく、

黙々と「勉めを強いる」日々でした。

ただひたすら「出来るだけいい大学に行く事が目標」というだけの日々。

いい大学に行きさえすれば、

夢が見つかるはず、

楽しいことが見つかるはず、

素晴らしい人生が拓けるはず

ここで落ちこぼれたら、人生が終わってしまうんじゃないか?

といった不安から逃れたい一心でした。

 『勉強が学生の本分』と言われればそうなのかもしれませんが、

一度きりの人生で、

一番エネルギーに満ち溢れた16から18までの3年間を

「成績のためだけの勉強」で過ぎ去ってしまった青春時代を思うと

今でもたまらない気持ちになります。

命をすり減らし、しかも大事なものを見過ごしてしまったような喪失感に泣けてくるほどです。

でも、偏差値=人間の価値のように振り分けられる受験戦争時代では、

それしか選択肢がなかった。

他の道を調べる余裕もなかったし、

今みたいにネットのような便利な道具も無かったし、

親も教えてくれなかった。

(育ててくれるだけで精一杯だったので、感謝していますが)

もし、あの時

今くらいの情報を手に入れることのできる環境があったなら、

そして、

命を削らなくてもよい、良質の学習の素地があったなら

僕は理想の進路を目指して、最適な選択肢を選び、

充実した青春時代を過ごせたことでしょう。

でも、実際の僕は

毎日のカリキュラムと、偏差値に追われる日々をくりかえすうちに

「発明家」の夢を忘れて、

青春時代を犠牲にし、

ただひたすら命を削って勉強した末に、

最後に手に入れたのは・・・

奇しくも

センベエ博士と同じ

「国立大学工学部、大学院工学研究科博士課程修了」

という肩書きだけでした。

でも、すでにそのころの僕は夢は忘れてしまって

ただの「ぬけ殻」だったのです。

そして、そのまま社会人になった僕にそれまでとは比べ物にならない激動の運命が待っていました。